【BL感想】『ナイトガーデン』を読んで
一穂ミチ先生の『ナイトガーデン 完全版 ふったらどしゃぶり~When it rains, it pours~ 完全版 (ディアプラス文庫)』を読みました。
誰かに依存することでしか生きられない人間がたどり着いた居場所
この作品は、相手の存在そのものに強烈に『依存』することでしか幸せになれない人間の物語です。
互いを求め合うこと、互いを必要することさえもはるかに超えた関係なんじゃないだろうかと、読みながら思いました。
藤澤和彰というキャラクター
なぜそれほどまでに重い関係なのか。
それはこの物語の主人公が、藤澤和章だからでしょう。
前作『ふったらどしゃぶり』を読んだ方ならわかるかと思いますが、彼はかなりクセのある人間です。
几帳面で物事へのこだわりが強く、融通が利かない。
感情をほとんど表に出さず、相手の感情を読み取れたとしてもやさしいウソをつくことすら難しい。
一見するとロボットのようで、隙がなく、人嫌いのような印象を受けます。
しかし根本的には、囲い込んで閉じ込めてしまうくらい、特定の誰かを愛せずにはいられない人間。
というよりも、そんな手段でしか誰かに愛を注げない、生きられない類の人間でもあります。
整に対してそうしたように。
『ふったらどしゃぶり』ではその悪癖が、相手の首をしめて、去ることを余儀なくされました。
しかしこの作品では彼の『本当の居場所』が見つかるというか、
本当の世話を焼く相手が見つかるというか、
良い意味で本当の『拠り所』が見つかります。
読み終えての感想は、居場所か見つかってよかった。
いびつなカタチこそが強い絆
※ここから先はネタバレしているところがあります。未読の方は注意。
たぶんここで描かれる関係は、邪道だと思います。
金銭的には自立していないことはないけれど、相手の存在に強烈に依存するような関係だからです。
恋人というより、庇護者と子ども。飼い主がペットを愛でるような関係。
それを的確に表現しているのは、『ふったらどしゃぶり』で一顕が放ったセリフでしょう。
「じいさんと孫じゃないんだから……」
(出典/『ふったらどしゃぶり~When it rains, it pours~ 完全版 (ディアプラス文庫)』一穂ミチ著)
これは藤澤和彰と半井の関係をついた言葉でしたが、『ナイトガーデン』の関係性にも当てはまる部分があります。
というか、物語がそもそも「じいさんと孫の生活」から始まりますし、やはりどう考えても藤澤和彰は「じいさん」の立ち位置なんだろうと思います。
これは、対等な関係が常識ーー共働きが当たり前ーーの現代では、これが異性愛の物語ならとくに、嫌悪する人も多いでしょう。
もっと自立しなさいよ、と。
しかし、私個人としてはこういう愛の形は嫌いじゃありません。というか心の底からぐっときます。
むしろそのいびつなカタチこそ、型にはまらないところこそが、誰もが羨む自立したキレイな関係よりも、互いの絆を強く感じるからです。
例えるなら、自立した人間同士の恋愛って、まず恋愛の必要がない普通の生活があって、それだけじゃ物足りないから、デザートやスパイスのように恋愛に溺れていく感じ。
反対に、この作品のような共依存的な恋愛は、パートナーがいないとふつうの人間的生活さえ営めないから愛する、というような。
つまりパートナーの存在がまずあって、それからやっと自分の生命を維持できるレベルのもの。
現実世界で考えると、後者の関係って嘲笑の的ですし、いざ自分がやれと言われてもぜったいに嫌。人生めちゃくちゃになりそうですし。
あと、異性愛ものでそれをされるといろいろキツくて読めないと思います。
けれど、BLで読むなら、無条件で後者のほうが好き。
これはもうなんだろう。好み、とかそういうレベルじゃなくて、味わい深さというか。
永遠の絆の強さ、を感じられるからだと思います。
間の楔や、炎の蜃気楼などが描いた、究極的かつ最上の、永遠の愛のようなもの。
追いやられた側
そしてこの作品の、追いやられた者同士がひっそりと自分たちの居場所を見つけて幸せになるところも好きです。
藤澤和章は、整とその生活を失った人間であり、
恋愛要素は抜きにしても、デザイナー(芸術家)という職業が示す通り、ふつうのサラリーマン生活は送れないタイプだと思われます。(実際にそう書かれています。)
そして、ここに登場するもう一方のキャラクターも、けっして『みんなと同じ』に生きている人間ではない。
和章とは対照的に、性格は明るく、太陽のようですが、追いやられた側の人間です。
生粋の日本人ではないという設定からしても、『ふつう』側にいる人間ではないことがわかります。
彼らを一言で表すとしたら、社会の異物とか、引きこもりとか、社会不適合者なんでしょう。
ただ、ふとしたきっかけだったり、自分の性格の問題で、キラキラした世界では生きづらくなった人たちなんだと思います。
『アロー (幻冬舎ルチル文庫)』もそうですが、けっしてキラキラしていない2人が、自分に合う居場所を見つけて幸せになっていく姿にとても心を打たれます。